病院の日でした。
先月と話したことは同じようなことだった。
自分で病院に通っていることの意味を考えてみると、薬は処方されていないけど病院にいくたびに直していこうという気力をもらっているような気がする。
直接どういう風に直していけばいいか教えられるわけじゃないけど、先生と話していく中で、自分の考えや自分なりの直し方の整理ができているんじゃないかなーと思う。
あと、毎回”この1ヶ月で何か進展したこととか感じたこと、強迫の症状関係なしにいつもと変わったことはありましたか?”と聞かれるから何かネタを探しておかないと・・・と自分の感覚に注意を払っていることも影響しているんじゃないかなあ。
自分の中の感じ方の変化に注意しているから自然に強迫がどういうときに楽になってるかを観察できていたり。
先生は楽になったときのことは注意深く聞いて、”どういうときにそうなったか”に目を向けさせる。逆にしんどかったときのことは伝えても、聞き流すだけのことが多い。しんどいと思っているマイナスの気持ちよりも、いい状態のときの感覚に目を向けさせようとしているのだと思う。
確かに、しんどいときのことをいくら訴えても、前には進めないもんね。
しんどすぎてしんどすぎて”もうこんなんばっかりいや!!!
なんでここまで苦しい思いをしないとあかんの?こんな生活いや!!!”
って本当におかしくなりそうなくらい強く思って、肉体的にもくたくたになって物理的に動けなくなったときに、なんだか一瞬いくらキレイにしてもきりがないというあきらめのきもちが浮かんで、それが一度進歩するチャンスになったことががあった。
あとはバイトで服を拭いたり手を頻繁に洗いにいけない状況で、がんばれたときに、その成功が励みになって次につながっていくことがある。
最近はこれが大きい。うまく交せたときの肉体的にも精神的にも楽な感覚が、強迫思考になったときに思い出せると、そのときの感覚のままに気持ちを持っていけるときがある。
ま、いっか
この感覚になれれば100点満点。
いっぺんにやろうとしなくていいから、少しずつ目標を決めてやって行きましょう。。といわれて今回の診療も終了した。
ちょっとずつ進歩していくことを信じて。。。
先月と話したことは同じようなことだった。
自分で病院に通っていることの意味を考えてみると、薬は処方されていないけど病院にいくたびに直していこうという気力をもらっているような気がする。
直接どういう風に直していけばいいか教えられるわけじゃないけど、先生と話していく中で、自分の考えや自分なりの直し方の整理ができているんじゃないかなーと思う。
あと、毎回”この1ヶ月で何か進展したこととか感じたこと、強迫の症状関係なしにいつもと変わったことはありましたか?”と聞かれるから何かネタを探しておかないと・・・と自分の感覚に注意を払っていることも影響しているんじゃないかなあ。
自分の中の感じ方の変化に注意しているから自然に強迫がどういうときに楽になってるかを観察できていたり。
先生は楽になったときのことは注意深く聞いて、”どういうときにそうなったか”に目を向けさせる。逆にしんどかったときのことは伝えても、聞き流すだけのことが多い。しんどいと思っているマイナスの気持ちよりも、いい状態のときの感覚に目を向けさせようとしているのだと思う。
確かに、しんどいときのことをいくら訴えても、前には進めないもんね。
しんどすぎてしんどすぎて”もうこんなんばっかりいや!!!
なんでここまで苦しい思いをしないとあかんの?こんな生活いや!!!”
って本当におかしくなりそうなくらい強く思って、肉体的にもくたくたになって物理的に動けなくなったときに、なんだか一瞬いくらキレイにしてもきりがないというあきらめのきもちが浮かんで、それが一度進歩するチャンスになったことががあった。
あとはバイトで服を拭いたり手を頻繁に洗いにいけない状況で、がんばれたときに、その成功が励みになって次につながっていくことがある。
最近はこれが大きい。うまく交せたときの肉体的にも精神的にも楽な感覚が、強迫思考になったときに思い出せると、そのときの感覚のままに気持ちを持っていけるときがある。
ま、いっか
この感覚になれれば100点満点。
いっぺんにやろうとしなくていいから、少しずつ目標を決めてやって行きましょう。。といわれて今回の診療も終了した。
ちょっとずつ進歩していくことを信じて。。。
コメント